うんこ漢字ドリルで、絶好調の、水野敬也さんは、粘る天才です。
こんにちは、
のんびり出版プロデューサーの、
おかのきんやです。
きょうは、出版で大切な、
粘るということについてお話しさせていただきます。
お役に立てば幸いです。
(^-^)ノうんこ漢字ドリルで、絶好調の、
水野敬也さんは、粘る天才です。
本を1冊出すとき、
10冊分ほどの原稿を書くと自負しています。
はじめは、70点の原稿も、
何度も書き直すことで、
100点に近づけていくのです。
みなさんも、この方法は使えます。
本を書く時には、つい意気込んで
100点を目指します。
それも、一発で書こうとします。
それは、幻想です。
そんな幻想に捕われていると、
自分の書いた原稿を見て、
あまりのひどさにがっかりします。
意気消沈します。
本を常に、自分を勇気づけながら書いてください。
そのためには、なるべく、
がっかりすることを避けてください。
その、いちばんいい方法が、
はじめは、70点の原稿でいいと、
気楽に取り組むことです。
そして、すこしずつ、
点数を上げていってください。
さて、
ねばることにかけては、
(^-^)ノ手塚治虫先生も、
素晴らしい粘り方をしていました。
今回は、そのエピソードをお伝えします。
(^-^)ノ『いつでも僕は、
締め切りギリギリなんです!
1本でも10本でも同じ!
いつでも僕は、
締め切りギリギリなんです!』
手塚治虫
(^-^)ノ【完璧を極める】
1本でも10本でも、やっぱり締め切りギリギリになってしまう。
つまり、原稿が遅れるのは、スケジュール管理の問題ではないと言うことです。
手塚治虫、よほどルーズな性格だったのでしょうか?
もちろん、そうではありません。
驚くべき、理由があったんです。
(^-^)ノ【逃亡伝説】
手塚先生、〆切りを延ばすためには、あらゆる手段を使いました。
編集者が一番困ったのが、手塚治虫がしばしば逃亡してしまうことでした。
こんな手塚伝説があります。
逃亡伝説1.
手塚番の編集者は、常に、パスポートと多額の現金を携帯していた。
なぜなら、先生がトイレにいくふりをして、海外に逃走する恐れがあったからだ。
実際、「ちょっと銭湯に行ってきます」と桶を片手にふらりとお出かけ。
そのまま宝塚にある実家に逃走した。
逃亡伝説2.
ある作品で電車内部を描いたが、それは時代遅れの社内の絵だった。
「こんな電車、もうどこにも、走っていませんよ」と編集者が指摘すると、
「ボクはもう20年、電車に乗ってないんです!」逆切れ。
それなら、電車を取材してくるといい残し、電車に乗りそのまま逃走してしまった。
逃亡伝説3.
最後の仕事場は、埼玉県新座市のビルだった。
そのビルを選んだ理由が、手塚先生の部屋から非常階段に出られるからだった。
これなら、編集者から、いつでも逃走できるからだ。
(^-^)ノ【逃亡した理由】
そんな思いをしてまで、締め切りをギリギリまで延ばした理由。
それは、作品の完成度を、最後の最後まで高めようとしていたからです。
漫画を書き上げた後でも、印刷されるギリギリまで、
「もっと良くならないか」
「もっと面白くならないか」と、完璧を目指していたのです。
印刷間際に、セリフが変わることもありました。
だから、編集者は印刷される一秒前まで、気を抜けなかったとのこと。
手塚先生、完璧な作品を世に送り出すためには、一切妥協なし。
たとえ、10本抱えている連載を、1本だけにしたとしても・・・。
やっぱり、ギリギリなっていたはずです。
だから、
「1本でも10本でも同じ!
いつでも僕は、締め切りギリギリなんです!」なのです。
さらに、こう続けます。
「クリエーターが、
完璧を目指さなくて、
どうするんですか!!」
(^-^)ノ【一週間ならできるかも】
完璧な作品、完璧な仕事を目指すためには、
締め切りギリギリもいとわない。
そうなると、体力的にも、人間関係的にも、
めちゃくちゃハードなことになります。
手塚先生は、一生、それをやり続けたのです。
凡人には、とても真似ができそうもありません。
でも、一生はむりですが、
一週間だけなら、可能かもしれません。
一週間でもいいから、完璧を目指し、
締め切りギリギリまで挑戦してみる。
一度試してみませんか。
もしかしたら、それがきっかけで、
あなたの思わぬ能力を発見できるかもしれません。
いかがでしょうか。
きっと、みなさんの、クリエイティブな部分が
触発されたのではないでしょうか。
それでは、また、お会いしましょう。
さよなら(^-^)ノさよなら(^-^)ノ
おかのきんや拝