難問・難題にぶつかったときには
こんにちは、
のんびり出版プロデューサーの、
おかのきんやです。
きょうは、出版で大切な、
難問・難題にぶつかったときには
ということについてお話しさせていただきます。
お役に立てば幸いです。
「何か、方法ないですかね?」
この言葉は、
手塚治虫が難題に直面したとき、
周りの人に問いかける口ぐせでした。
(^-^)ノ【方法を極める】
どう考えても、解決できそうもない、
難題、難問。
でも、何とか解決しなければならい。
あなたの場合、
そんな難問と向かい合ったとき、
どう対処していますか?
(^-^)ノ
【絶体絶命】
そんな難問とぶち当たった、
手塚治虫のエピソードです。
昭和30年(1955)代は、
「月刊漫画少年誌」が大全盛でした。
「週刊少年漫画誌」は、影も形もありませんでした。
若き日の手塚先生、
常時、8本近くの連載を持っていました。
「少年」「少年画報」「冒険王」「少年ブック」など、
主な少年誌の看板は、すべて手塚漫画でした。
各誌の発売日は、横並びです。
ということは、締め切りも横並びです、
それは毎月、二十日に集中しました。
あるとき、とんでもないことが起こりました。
8社の〆切りが、
あと2〜3日しかないというのに、
8本の連載、
すべて手が付けられていなかったのです。
2〜3日で全てを描くのは、
どう考えても不可能です。
「とにかく、うちのを
一番最初に描いてくれ!」と、
8人の編集者が、
凄い剣幕で手塚先生に迫ってきました。
そりゃそうです、
もし、原稿を貰えなければ、
会社を首になるかもしれません。
編集者たちは、殺気立ち、
今にも殴り合い寸前、手塚先生、絶体絶命です。
ところが手塚先生、
この難題を見事に解決しました。
その方法とは。
8社同時に、
1ページずつ、
描き始めたのです。
これなら、公平です、
誰も文句の言いようがありません。
そして二日間徹夜し、
8本全ての原稿を描き上げてしまったのです。
「それにしても、8本の話を、
混乱せずに、交互にスイスイ描けるなんて、
さすがは天才だ!」と、
編集者たち驚嘆したそうです。
このころの手塚先生、
アシスタントを使っていなかったので、
すべて自分で描いていました。
その超人ぶり、さらに驚きです。
ちなみに、
スーパー99の漫画家、
松本あきらさんとは、
のちに、松本零士と改名し、
宇宙戦艦ヤマトへと繋がります。
(^-^)ノ
【「どうしよう」より「なぜだろう?」】
「何か、方法ないですかね?」
手塚治虫が難題に直面したとき、
周りの人に問いかけた口ぐせです。
そして、自問自答でもあったのです。
どう考えても、
解決できそうもない、難題、難問。
あなたも、そんなことに、
何度もであったはずです。
これからも出会うのは間違いありません。
そんなとき、手塚治虫がやっていた、
「何か、方法ないですかね?」の
やり方を真似してしまいましょう。
「こりゃ、だめだ」と、諦めるまえに、
「何か、方法はないかなあ?」と
自問自答するのです。
するとその難題を
解決するアイデアが閃くかもしれません。
その理由はこうです。
「何か、方法はないかなあ?」と、
考えだすことは、
難問が解決することが大前提となります。
たとえば、
未来で既に難問を解決している自分を、
イメージしてみます。
もし、本をどうしても書けないのなら、
未来で既に出版されている本を、
イメージしてみることです。
すると、脳が勝手に
「このひと、いったい、
どうやって難問を解決したのかなあ?」
と考え始めてしまうのです。
クイズの答を知りたくなるような感じで、
「なぜだろう?なぜだろう?なぜだろう?」と、
フル回転でクイズの答えを考え始めます。
最近の脳科学では、
こんな脳のクセが発見さています。
難問に対して、
「どうしよう」と悩むと、
脳はクヨクヨして元気がなくなっていきます。
ところが、「なぜだろう?」と考えだすと、
脳はドンドン活性化するのです。
その活性化した脳が、
無意識下で、勝手に解決策を求め始めます。
(^-^)ノ
あなたにも、こんな経験ありませんか?
難題を一生懸命考え、
そのまま眠り込んでしまった。
翌朝、目覚めた途端、
思わず、その解決策が閃いた。
そう、脳は、閃きという形で、
それを伝えてくれるのです。
難問・難題にぶつかったら、
「どうしよう」と言わずに、
「なぜだろう?」と言うことです。
その、「なぜだろう?」モードを入れるスイッチが、
「何か、方法はないかなあ?」なのです。
いかがでしょうか。
きっと、みなさんの、クリエイティブな部分が
触発されたのではないでしょうか。
それでは、また、お会いしましょう。
さよなら(^-^)ノさよなら(^-^)ノ
おかのきんや拝