出版寺子屋 本を出す方法

このブログでは、本を出す方法を、 丁寧にお伝えします。 商業出版で本を出すことを目指します。 また、 「誰でも本を書ける」 「誰でも本を出せる」的な無責任な言葉で、 高額な出版プロデュースに 誘導するようなこともいたしません。 このブログは、 そのような怪しさとは一切無縁です。 そのことは、ハッキリとお約束します。

常に最前線!

こんにちは、

のんびり出版プロデューサーの、

おかのきんやです。

 

 

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きょうは、出版で大切な、

常に最前線!

ということについてお話しさせていただきます。

お役に立てば幸いです。

 

 

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「ボクはねえ、

本当は応募作なんて見たくないんです。

ボクの作品を応募したいんです」

 

 

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手塚治虫が新人漫画賞の最終選考作品を、

審査委員として審査しながらもらした言葉。

 

 

 

 

【最前線で燃える】

 

かつて、

大ブームを引き起こした漫画家たちも、

人気がなくなると、いつのまにか消えてしまいます。

 

それでも、

「ネームバリューのある大家」には、

それなりの仕事の依頼がきます。

 

その、理由は、

ネームバリューが商品となるからです。

 

たとえば、

権威を重んじる

新聞社などからの依頼です。

 

 

 【人気の新人・ネームバリューの大家】

 

手塚治虫の人気が

下降しかけていたころの、

エピソードです。

 

新たに創刊される

「漫画雑誌」から、

連載の依頼がきました。

 

とはいえ、

手塚治虫の「漫画」が

欲しいわけではありません。

編集者は、

『手塚治虫』という、

ネームバリューが欲しいのです。

 

その、ネームバリューを利用して、

「今度、うちから出す新雑誌、

 手塚先生も描かれるんですよ!」

という口説き文句を使えば、

手塚先生を神と崇める、

新人の人気漫画家たちが、

喜び勇んで連載を引き受けてくれるからです。

 

編集者が本当に欲しいのは、

現在進行形の人気作家たちの作品なでのす。

 

その証拠に、

いざ雑誌がスタートしても、

手塚漫画の人気が不評なら、

編集者は容赦なく

連載を打ち切ってしまいます。

 

 

 

【過去の栄光を捨てる勇気】

 

ほとんどの「名のある漫画家たち」は、

人気が落ち始めると、

自分の時代が去ったことを悟り、

リタイアしてしまいます。

 

それでも、悠々自適の生活です。

過去の作品の印税が、

永続的に入ってくるからです。

 

多くの「巨匠」「大御所」が

そんなコースをたどります。

 

ところが、

手塚治虫はリタイアどころか、

新人だらけの最前線に突入していきました。

過去の栄光や、実績を捨て、

本気で、彼らと張り合ったのです。

 

「ぼくは

 若いマンガ家の作品を気にする。

 してやられたと思った時、

 俄然ファイトが湧き、

 それがぼくの

 エネルギー源になっている」

 

これ、なんと手塚先生が、

47歳の時に語った言葉です。

 

こうも述べています。

 

「僕だって、

 描くんだったら1位に

 なりたいんです」

 

さらに。

その思いを徹底するため、

ある行動を起こしました。

 

なんと、

全てのマンガ賞の審査員を

辞退してしまったのです。

 

そして、冒頭のこの言葉です。

 

「僕はねえ、

 本当は応募作なんて

 見たくないんです。

 ボクの作品を応募したいんです。

 

 僕だって、野におりて

 漫画賞を受けるぐらいの

 作品は描きたいという情熱は持っている。

 

 漫画家には、年齢は関係ないから、 

 新人も旧人も一緒くたになって、 

 作品を競い合うのはいいことだ」

 

手塚先生、選ぶ側から、

自ら選ばれる側にまわったのです。

 

そして、『ブラックジャック』で、

「第4回日本漫画家協会特別優秀賞」

を受賞してしまったのです。

 

手塚治虫は、決して「巨匠」という名に、

あぐらをかくことがありませんでした。

周りは、漫画の神様と思っているのに、

本人は常に新人であることを心がけていたのです。

その気持ちのみずみずしさと、

謙虚さには、心を打たれます。

 

 

 

【成功したあとこそが大事】

 

成功を人生のゴールに定める人がいます。

 

ところが、

成功したあとこそが、大事なのです。

 

手塚治虫は、

漫画界が最盛期を迎え、

爛熟期に入ったとき、

こう警鐘を鳴らしています。

 

「今の漫画は成熟した。

 今後は腐敗するか、

 ルネッサンスになるかだ」

 

もし、将来、

あなたが成功を手に入れたら。

そこで安易に留まらないことです。

 

手塚治虫のように、

過去の栄光や実績を

捨てる勇気を持つことです。

 

いかがでしょうか。

きっと、みなさんの、

クリエイティブな部分が

触発されたのではないでしょうか。

 

それでは、また、お会いしましょう。

さよなら(^-^)ノさよなら(^-^)ノ

 

   おかのきんや拝

 

この、一度だけで、覚える!

 

 こんにちは、

のんびり出版プロデューサーの、

おかのきんやです。

 

 

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きょうは、出版で大切な、

この、一度だけで、覚える!

ということについてお話しさせていただきます。

お役に立てば幸いです。

 

 

 

 

『いいですか。

 一度しか言いません。

 よく聞いてください』

 

手塚治虫がスタッフに

指示を出しときの口癖。

 

_________

 

(^-^)ノ【記憶力を極める】

 

手塚治虫が将棋の世界に挑んでいたら、

間違いなく、

羽生善治レベルの棋士になれたはずです。

 

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それは、手塚先生、

人並みはずれた驚異的な

記憶力を持っていたからです。

 

目にしたものは、

カメラのように、

一瞬で脳に写し撮ってしまう。

そんな、特殊能力があったようです。

 

その、手塚式記憶法、

私たちにも応用できます。

 

(^-^)ノ【記憶力伝説】

 

数々ある、記憶力伝説の中でも、

ダントツのエピソードをご紹介します。

 

昭和55年(1980)。

そのとき、

手塚先生、アメリカにいました。

 

 

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「コミックコンベンション」

という会議に出席していたのです。

 

帰国する日が、

『ブラックジャック』の

最終締め切り日でした。

担当編集者の伊藤氏、

原稿の進捗ぐあいを、

国際電話で確認しました。

 

驚くことに、

原稿にはまだ手を付けていないとの返事。

 

伊藤編集者、蒼白になりました。

なぜなら、

仮にいまから原稿を描きあげ、

航空便で送ってくれても、

絶対に〆切りには間に合わないからです。

 

「もうだめだ、終わった・・・」

と絶句しました。

 

 

 

ところが、手塚先生、

とんでもない作戦で、

それをクリアしたのです。

 

まず、手塚先生は

アメリカでキャラクターだけを描く。

それと同時進行で、

日本のアシスタントたちには

背景を描き進めてもらう。

 

帰国したら、

その背景に、

人物を張り合わせる。

という前代未聞の方法です。

 

いまなら、

インターネットで

原稿のデータを一瞬出送れます。

 

ところが、当時は、

インターネットどころか、

ファックスさえなかったのです。

 

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使えるものは、

国際電話しかありません、

そこで、手塚先生、

作業方法を電話でアシスタントに指示。

 

まずは、コマ割りの指定です。

アシスタントに方眼紙を用意させ、

電話でこう伝えました。

「左上5センチのところから、

右上2センチのところに線を引く。

その線を3等分、左から1/3の下に線を引く」

これなら、

確かに電話で

コマ割りを伝えることができます。

 

次にコマ割りだけされた、

白紙の原稿に背景の指示を出します。

「2ページ、4コマ目、

『ブラックジャック』3話前、

6ページ、3コマ目の校門を、

このコマの中央

やや下に開いた状態で入れてください。

 

7ページ、1コマ目、

前回8ページの廊下を、

大きさ変えず反転して入れてください」

 

さっそく、アシスタントたちは

手分けをして、

該当する資料を本棚から探し出します。

 

一方、

アメリカの手塚治虫の

ホテルの部屋には、

『火の鳥』の担当編集者が張り付いていました。

 

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その編集者、

デスクに向かい電話で指示を出す、

手塚治虫の背中を眺めながらこう思いました。

 

「これなら、アメリカからでも、

背景を指示できる。

だけど、先生も大変だな、

アメリカまで、

指示用の資料をたくさん持ってきて・・・」

 

ところが、

手塚治虫の座るデスクを見て、

 

驚愕!!

 

なんと、デスクの上には、

何も置かれていなかったのです。

メモさえもありませんでした。

 

手塚治虫は、

今まで描いた原稿を

すべて暗記していたのです。

それを、思い出しながら、

空で指示を出していたのです。

 

さらに、

「資料が見つからない」と、

あわてるアシスタントに、

「そのシーンは、

真ん中の本棚、1番下の段、

右から10冊目の、

たしか100ページ辺りです」と指示。

 

なんと、本棚の全ての本、

そのどこに何が描かれているかも、

全て記憶していたのです。

 

『週刊少年チャンピオン』

38号、最終締め切り日。

 

成田空港に降り立った手塚治虫を、

編集者とアシスタントが

誘拐するようにホテルに拉致。

 

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そこで、

キャラクターと背景が張り合わされ、

ギリギリセーフで原稿が完成したのです。

 

 

 

(^-^)ノ【手塚治虫式・記憶術】

 

記憶力を強くしようとしても、

私たちの脳を、

手塚治虫のような

天才脳に改造することはできません。

 

でも、

テクニックとして

取り入れることはできます。

 

手塚治虫式・記憶術です。

 

手塚治虫は、

何かを記憶するとき、

このようなやり方をしていました。

 

手塚治虫が同窓会に

出席したときのエピソードです。

 

手塚先生が写真から、

似顔絵を描くことになりました。

手塚先生、その写真をじっと見ると、

それを伏せてしまいます。

また、写真をじっと見る→それを伏せる。

 

そのあと記憶だけで、

似顔を描きあげました。

顔がそっくりなのはもちろん、

20人の位置、

服装までピッタリだったので、

その場のみんなを驚かせました。

 

見る→観察する→記憶する。

もう一度見る→修正する→観察する→記憶する。

基本的には、このプロセスで記憶していたようです。

 

ズバリ、手塚治虫式・記憶術の神髄です。

 

『いいですか。

 一度しか言いません。

 よく聞いてください』

 

これは、手塚治虫が

スタッフに指示を出すときの口癖でした。

この言葉により、

相手の、

「集中力」と「緊張感」を

呼び起こさせたのです。

 

記憶力がイマイチという場合、

そのほとんどは、

ただの「集中力」不足です。

 

なにかを記憶するとき、

「何回か、繰り返して覚えたら、

 そのうち覚えられるかも」

というような、ゆるい気持ちは大敵です。

 

ふだんから、

 

「この、一度だけで、覚える!」

という、

きつい気持ちで

覚えるのがコツです。

 

私も、

この手塚治虫式・記憶術を

しばらく前から始めました。

すでに、還暦を超え物覚えが

悪くなっていたのですが、

記憶力が驚くほどアップしてきました。

 

この方法、効果抜群、

間違いなく使えます、お薦めです。

 

いかがでしょうか。

きっと、みなさんの、クリエイティブな部分が

触発されたのではないでしょうか。

 

それでは、また、お会いしましょう。

さよなら(^-^)ノさよなら(^-^)ノ

 

   おかのきんや拝