憬れの対象を持とう。
こんにちは、
のんびり出版プロデューサーの、
おかのきんやです。
きょうは、出版で大切な、
憬れの対象を持とう。
ということについて
お話しさせていただきます。
お役に立てば幸いです。
『白雪姫』は
50回以上見ました。
しかし、
いちばん多く見たのは
『バンビ』で、
朝から晩まで
映画館に座っていました。
全部で何回見たか、
おぼえていませんが、
130回は見たと思います。
手塚治虫が、
ディズニー映画『バンビ』を
何回観たかと聞かれたときの返事。
(^-^)ノ【憬れに燃える】
あなたは、同じ映画を
130回見たことがありますか?
現在なら、DVDを一枚買えば、
それも可能です。
ところが、一昔前には、
映画は映画館でしか
観ることができなかったのです。
同じ映画を130回見る場合は、
130回映画館まで
足を運ばなければなりませんでした。
130回料金を
支払わなければなりませんでした。
(^-^)ノ【130の視点】
『バンビ』は、
昭和26年(1951)に日本で公開されました。
手塚先生がまだ関西在住で、
ジャングル大帝』を描き始めたころです。
ディズニーは、
手塚治虫の憬れの対象でした。
中でも、
もっとも回数多く見たのが
ディズニーの漫画映画が『バンビ』でした。
大阪で『バンビ』が封切られたとき、
手塚先生、初回から最終回までの
指定席券を買いました。
さらに、お弁当を3つ持ち込んで、
一日中、『バンビ』を観続けました。
『バンビ』の追っかけとなり、
東京の映画館はもちろん、
あちこちの映画館を渡り歩きました。
映画館の暗闇の中では、
スケッチブック片手に
動物の形や動きを模写しました。
それを、
『ジャングル大帝』に生かしたのです。
後年、
その『ジャングル大帝』をモデルに、
ディズニーの
『ライオンキング』が産まれるとは、
そのときの手塚先生、
夢にも思わなかったでしょうね。
ディズニー側は、このことを否定していますが、
里中満智子さんを始め、
多くの漫画家たちが、
『ライオンキング』は、
『ジャングル大帝』の模倣であると、
述べています。
ちなみに、ネット上では、
このようなシーンの類似を指摘する
方もいらっしゃいます。
左側が『ジャングル大帝』 右側が『ライオンキング』です。
もっとも、
ディズニーの
『ピノキオ』の
木の人形をロボットにアレンジしたり、
『ミッキーマウス』の
髪型をアレンジたりと、
『鉄腕アトム』も、
ディズニーに、かなり影響されています。
良いものが刺戟しあい、
相乗効果をあげながら、
向上していく。
どんなジャンルに限らず、
それは共通しています。
(^-^)ノさて、手塚先生130回、
ただ繰り返して
見るわけではありませんでした。
見るたびに、違う視点から見ていたのです。
130の視点から研究していたのです。
ある回は、
「なぜこんなに人気があるんだろう」と、
ストーリーを分析します。
さらに、ある回は、
「次のところでお客は絶対に笑うぞ」と、
観客の反応を予測します。
さらに、別の回では、
「ああ、やっぱり、みんな泣いているな」と、
観客の反応を確認します。
分析、予想、確認を繰り返していたのです。
『バンビ』という1つの素材を
研究し尽くしたのです。
研究するだけではなく、
一観客となり、
『バンビ』の楽しさと
、感動を味わい尽くしたのです。
こうして、『バンビ』から
濃密な「知識」「智恵」「ノウハウ」
を吸収したのです。
漫画とアニメへの「情熱」を
インプットしていたのです。
(^-^)ノ【数稽古】
「数稽古」ということばがあります。
学力や能力を、上達させたいのなら、
理屈に捕われず、体でぶつかり稽古をしなさい。
それも、
繰り返し、繰り返し、
数多く稽古をすることが、
上達への一番の早道であるという意味です。
この数稽古、
「手塚治虫式・数稽古」にすると、
上達スピードが加速します。
「手塚治虫式・数稽古」とは、
おなじ稽古でも、漫然と繰り返さず、
常に、違う視点から取り組むことです。
努力の質を変えつづけると、
非凡な結果を
産みだすことができるのです。
(^-^)ノ【数十年後の数稽古】
時は流れ。
手塚先生、40代も半ばになると、
大きな悩みごとがでてきました。
それは、キレイな丸が
描けなくなってきたことです。
漫画を描く場合、
丸は、全ての線の基本です。
手塚治虫は、
フリーハンドで正確な
正円を描くことが出来ました。
それが描けなくなってきたということは、
明らかに描く能力が
老化してきたということなのです。
漫画家生命にも、関わることです。
ある深夜、
アシスタントが仕事場にいくと、
手塚先生がトレース台に向かい、
真剣なまなざしで
何かを模写している光景を目撃しました。
アシスタントが見つからないように、
そっと覗くと、
手塚先生、
なんと、
『バンビ』を
模写していました。
まだ、数稽古を
続けていたのです。
老いを迎えた手塚先生。
でも、漫画に対する情熱は、
『バンビ』を130回も見たあのころと、
何も変わっていなかったのです。
いかがでしょうか。
きっと、みなさんの、クリエイティブな部分が
触発されたのではないでしょうか。
それでは、また、お会いしましょう。
さよなら(^-^)ノさよなら(^-^)ノ
おかのきんや拝